9.9 透析中に生じる急速な血圧下降の原因と対策
透析低血圧では、透析開始後、血圧が徐々に低下していき、ついに欠伸や倦怠感などの症状を呈するようになるだけでなく、透析中、安定していた、あるいは徐々に低下していた血圧が、急速に下降し始め、症状を呈するに至ることもある。このように、透析中のある時点で血圧の下降速度が著しく加速するのは、ひとつ、あるいはいくつかの血圧低下要因の関与程度がその時点で急速に増大したためか、あるいは新しい要因が加わったためかのいずれかの場合であろう。しかし、血液量の減少、NOの産生、心不全の増悪、自律神経失調のいずれの要因の関与も、ある時点から急速に増大し始めるとは考えにくい。もし、既知の要因の関与程度が急速に増大したのではないのなら、ある時点で新しい要因が加わったことになる。このような要因として、虚血組織で産生されるアデノシン [1,2] およびNO [3] が考えられる。
1.
アデノシン仮説
透析中、除水が進行し、ATP(アデノシン3リン酸)の産生の多い、エネルギー代謝が活発な臓器が虚血に陥ると、それらの臓器では、酸素供給量の減少のためATPの合成が障害され、ATPの加水分解にともなってアデノシンが大量に産生される。ところが、アデノシンは、細動脈を拡張させるので、エネルギー代謝が活発な臓器が虚血に陥り、アデノシンが大量に産生されると、これらの臓器では細動脈が拡張し、これにともなって細動脈の下流にあたる毛細血管圧および細静脈圧が上昇する。このとき、エネルギー代謝が活発な臓器のうち消化器系臓器では細静脈の拡張性(コンプライアンス)が大きいので、図に示すように、細静脈圧の上昇にともなってその容積が有意に増大する(De
Jager - Krogh現象)[4]。とくに、酸素供給量の減少にともなって
NO の産生が増加すると、細静脈の拡張性はさらに増大し、以って細静脈圧の上昇にともなって血管容積もより増大する。すなわち、消化器系臓器が虚血に陥ると、ここに貯留する血液の量が増大することになる。さらに、細動脈の拡張した臓器の毛細血管では、上昇した圧により水分が血管外に押し出される。これらの現象の結果として、心臓への静脈還流量は急速に減少し、これにともなって心拍出量が低下し、結果として血圧は急速に下降していく。
2.急速な血圧下降に対する対応
急速な血圧下降に対しては、急速な補液がもっとも有効である。急速に補液をおこなうことにより組織の虚血を軽減できれば、新たなアデノシンや
NO の産生が減少する。アデノシンや NO の半減期は数秒から十数秒ときわめて短いので、まもなくアデノシンや
NO の影響は著しく低下し、細動脈壁の緊張度および細静脈の緊張度は再び増大する。細動脈の再収縮にともなって、細動脈の下流にあたる細静脈の圧は下降し、細静脈の拡張性の再低下にともなって容積は縮小し、細静脈に貯留されていた血液は中心静脈へと押し出される。また同時に、毛細血管内圧の低下にともなって間質から毛細血管内に水分が戻ってくる。その結果として、心臓への静脈還流量と心拍出量は回復し、これにともなって組織の虚血はさらに解消され、アデノシンや
NO の放出もさらに減少して血圧は急速に上昇していく。
アデノシンの拮抗薬であるカフェイン(通常 300 mg )を急速な血圧低下の生じやすい透析後半に投与すると、その発生頻度を減らすことができる [2] 。なお、カフェインは 15 分ほどの短い間に腸管から吸収されるが、一方では、ダイアライザから急速に除去されていく。したがって、カフェインの作用は透析中、長くは続かない。
さらに、透析中の血圧低下の予防に 50% ブドウ糖液100 ml の持続注入が有効である(高張ブドウ糖液持続注入療法)。具体的には、血液透析の最後の1〜2 時間に、ダイアライザの静脈側から 50% ブドウ糖溶液100 ml を輸液ポンプを用いて均一速度で持続注入する[5]。
文献
1.新里高弘、前田憲志:Dialysis-induced hypotensionとその対策. 臨床透析 8: 55-61, 1992.
2. Shinzato T, Miwa M, Nakai S, Morita H, et al.: Role of adenosine in dialysis-induced hypotension. 4: 1987-1994, 1994.
3. 小畑俊男: 心筋障害の調節因子とアデノシン産生. 日薬理誌(Folia Pharmacol. Jpn.)119: 273-279, 2002.
4. Daugirdas JT.: Dialysis hypotension: A hemodynamic analysis. Kidney Int 39: 233-246, 1991.
5. 新里高弘、他:透析低血圧の予防に対する高張ブドウ糖溶液の持続注入の有効性. 臨牀透析 22: 1425-1427, 2006.